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恐ろしくて心配な大震災

11日の午後15時ごろ、一息ついてデスクワークの最中
>揺れてない?
目を合わせた同僚が言う。
すぐさまネットで地震速報をチェックしたら
おおきな揺れ、今まで経験したことのない揺れ
スチールの棚が倒れてこないことを確認して、廊下へのドアをあけ、非常口から部屋の9人と脱出。
隣とお向かいの部署もいっしょに、4階から揺れる階段を下りて行きました。
目が回るようでした。
外に出たら別の階にいた職員や、周辺の建物から避難してきた人たちがいっぱい。
JRは止まっているようでした。

早めの帰宅を許されたので、後処理をして16時茅ヶ崎・海老名・平塚方面の同僚4人と歩くことを覚悟して出発しました。
駅に着いたら復旧のめどなし、横浜方面の同僚たちは茫然としてタクシーを待つかバスを乗り継ぐかを検討してましたが、お互いの無事を願ってわたしたちは駅沿いに茅ヶ崎を目指したのです。
茅ヶ崎まで二駅、江の島まで歩いた経験もあるのでわたしはOKでしたが、みんな大丈夫かな?

大きな揺れがおさまったとき家に電話して義父に安全の確認をしました。
家電はつながってましたが、そのあと実家に電話しましたがつながらず、メールを父と都内に住む妹に送りました。
福島は大きな揺れだったようです。一人暮らしの父が心配でした。

お天気よくて風はあったけどみんなで順調に歩きはじめました。
そんなとき隣の義妹から携帯に電話がありました。
auは比較的つながり易かったようです。
義弟が車で迎えに来てくれるというのです。
わたしは茅ヶ崎まで行けばわたしが海老名と平塚に送り、そのまま夫を迎えにいけばいいと思ってたのですが、義弟が迎えに来てくれるとで歩く距離は半分くらいに済みそうでした。

辻堂越えて一国に出る手前、歩いてちょうど1時間で義弟と会えました。
うれしかったー!
下り車線は少し車が多いものの、わりと順調に走り、テレビで地震の被害を見てみんなで驚きました。
まるで映画のシーンみたいだと。
歩いてるあいだも家族に連絡しようとしてもなかなか繋がりませんでした。

茅ヶ崎で義弟と同僚の一人をおろし、わたしが海老名と平塚に送って行きました。
平塚は途中停電は真っ黒、恐ろしい光景でした。
暗くなってだんだん車が多くなり、一国は大渋滞。
義妹から
>お義兄さんはバイクで行ってますよ
と連絡がはいったので、しばらく帰れないだろうからと道を迂回し、遠回りしてなんとか帰宅しました。
うちの前の一国は大渋滞でした。

まもなく夫も無事帰宅してきて、あとは連絡のつかない実家の父が心配。
妹からのメールも帰る車のなかでようやく受信でき、帰宅してから妹宅への電話も通じたので話すことできましたが、実家の破損などの被害はなかったものの、停電らしく、携帯の充電も怪しくなってきたとこのこと。
あ〜〜乾電池で携帯の充電できるものを買っておいて来ればよかった。
うちにはアラジンがあるけど、実家のストーブは電気がないと動かないタイプ。
対流式のストーブがあった方がいいねとお正月に帰った時に話してたんです。
でも、小さなストーブではきっと足りないし、火事の心配もあるかな・・・と断念してました。

とりあえず父は水が出てプロパンガスなのでお湯も沸かせるので食事はできたと妹は話してました。
明日は声が聞こえるといいです。

うちはものが少し倒れただけで平気でしたが、アックが珍しく駆け下りて来たらしいです。
よほど怖かったのですね。

悲惨な状況をテレビで見ながら、かんたんなお夕飯をし、駅で別れた同僚の安否の確認や、心配メールをいただいた方へのお返事メールをだしてるうちに夜は更けて行きましたが、明日はわたしも夫も出勤なので寝ることにしました。

電車、走るかな?

↓こんなときほどtwitter






  • @lucky_cane ありがとうございます。2階にいたアック、珍しくおじいちゃんおばあちゃんとこに降りてきたそうです。怖かったらしい。観葉植物が一つ倒れ、フォトスタンドがひとつ倒れただけでした。帰宅が遅かったので、2ぴきとも悲鳴を上げながら大喜びしてましたよ。 posted at 22:58:23

  • 今までで経験したことのないくらい大きな地震でした。帰宅に4時間、実家福島の父も無事でほっとしましたが、被害をみて恐ろしくて震えがでました。 posted at 22:54:24





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